ブログ   macotonのブログ日記

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相模原障害施設での事件への違和感

2013年

9月

10日

東京オリンピック2020はうれしいが・・・

2020年のオリンピックは東京で開催されることになった。これはこれでいいことではあると思う。1964年の東京オリンピックにあわせて、新幹線が通り、高速道路が出来、地下鉄も出来た。たくさんの競技場が建設され、代々木の選手村は大規模な研修センターにもなっていて、何度か利用したことがある。 あと7年でまた、大規模な国立競技場をはじめとして多くの競技場が建設あるいは改修されるのだろう。道路などのインフラも整備されていき、東京はますます便利になるに違いない。

 しかし一方で、疑問と懸念が湧いてくる。

 陸前高田に通っているが、陸前高田の工事はこれからだ。防潮堤は未だ壊れたままの部分も多く、それらを瓦礫にして片付けなければならない。4月以降ダンプの通行量が目に見えて増え、交通渋滞が起きるほどになった。あちこちでようやく工事が始まってきた。解体が終了してからが、本格的な建設の時期になってくると思われる。仮市役所庁舎前の山を削り、市の防災センターがようやく着工することになった。あちこちで山が削られて平地を造っている。浸水地域にも土盛りの丘が出来て来た。

 ところが、多くの建設工事については、入札不調が続いている。工事はあっても応札する業者がいない。被災地全体での工事量に、建築資材も人手も不足しているという。被災地では、予算はあっても工事が進まないという状況が続いている。

 これは被災地に限ったことではない。先日札幌で「体育館の新築工事に応札が無く、予算を1割増しにして再度入札を行う」とニュースで聞いた。今こうした現状が全国的に起きている。被災地に人材と資材を集中しているのであれば、他の地域はある程度我慢して貰わなくてはならない。

 

 この資材と人材不足はいつまで続くであろうか?陸前高田にいると未だ未だこれからという印象を拭えない。広大な原野となってしまった浸水地域に、瓦礫の最終処分工場が建設された。別の浸水地位には、これから生コン工場が建設され、高さ12.5mの防潮堤を沿岸部全体に造っていかなければならない。膨大な工事である。高台移転するための用地を確保するために、山を削らなければならない。その土を使って浸水地域のかさ上げをしていくことになる。高田地区で5m、今泉地区では10m以上のかさ上げが予定されている。これだけでもこれまでに例の無い規模の工事になる。その他に、公営住宅や公的施設の建設もある。膨大な工事が予定されているのだ。

 

 オリンピックまでの7年は、被災地復興計画の7年と重なっている。お互いに待ったなしの状態になってくるだろう。

 建設関係業界で続いているこの異常なバブル状態で、最も懸念されるのは、工事が進まないことと工事が高騰することである。オリンピック関連建設と被災地とが奪い合うことのないように、いや、被災地の工事が遅れないように、今から早め早めに資金を投入し工事を進めて頂きたい。

 建設業界には、楽な仕事、高い仕事を優先せず、被災者の生活関連工事を優先する良識を持って貰いたい。

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2013年

4月

01日

陸前高田市保育所修了記念文集復刻

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2013年

1月

18日

大槌町への派遣職員自殺報道を聴いて

 岩手県大槌町に応援派遣されていた自治体職員が自殺したことが報道されている。また報道によると町長は記者会見で「3ヶ月の平均残業時間は70時間であり、他の職員に比べ多いとはいえない。一人に仕事が集中していたとはいえない。」と説明をしたとのことである。また、陸前高田市に派遣されていた方の自殺に続き2例目であるとも報道されている。

 

 わたしは、被災地のメンタルヘスルに多少関わる者として、「残業時間は短かった」と説明があったことに違和感を覚える。確かに労働安全衛生法等において、長時間労働あるいは深夜労働がメンタルヘスルに影響を与える大きな要因として指摘されている。しかし被災地においては、こうした一般的な指標ではなく被災地という特徴を踏まえたメンタルヘルス対策が考慮されなければならない。被災地の中でも特に、陸前高田市、大槌町、南三陸町はその特殊性を考慮した職場メンタルヘルスが必要であると考えている。

 被災地3市町の特殊性を考慮するとは次のような環境要因を考慮するということである。

 上記3市町は、平野部にあった市役所・町役場などを含む街全体が津波により消失してしまった。つまり、生活の場で有り、労働の場であり、憩いの場であり、日常生活の場であった市街地が無いのである。そして2年経過しようとする現在、そこにどのような街があったのか想像もできないほど、原野に戻った見渡す限り平な土地があるだけである。

 ここでの生活では、仕事が終わった後飲みに行く店も、時間を潰す喫茶店も映画館も、買わなくてもみて歩けるショッピングセンターも商店街も、レンタルビデオ店も、散歩する街並みも、あらゆるものが無い。元々無いだけでなく、有ったもの全てが失われてしまった。隣の市に行かなければこうした日常生活すら無いというのが現状である。

 

<<派遣職員に想定されるストレス>>

被災地のために、被災地自治体のためにと、志の高い方々が志願して派遣されてくる場合が多いと聞く。そのような方々が、どのような仕事と生活になるかを考慮しなければならない。そのような方は、元々仕事熱心な方々であったことが容易に想像できる。また被災地のためならどんな残業も厭わない気持ちも持っているかもしれない。

 しかし、被災地自治体職員は疲弊している。役所が被害を受けた自治体は、職場仲間の多くを失い、建物も行政資料も全てが無い大混乱の中で業務を続けて来た。その疲労度は想像を超えている。そこに、元気一杯で意識の高い人が仕事をしようと来られる。両者のギャップは大きい。サッカーで言うなら、延長戦に交代で入った元気な選手と既に90分走り回って疲れ切っている選手のようである。一緒に同じように働くのは難しい。派遣された職員には物足りないかもしれないが、地元のペースで伴走的な支援を心がけていただきたい。

 しかし一方、派遣されてきた職員のストレスという点から考えてみる。

仕事をすることで被災地の復興を助けようと相当な覚悟で見知らぬ土地に来ているはずである。残業が制限され、ゆったりとしたペースの中での仕事が要求される。仕事をせず帰らなければならない。その意識・意気込みと現実には大きなギャップが生まれ、退職者や配置転換の際にみられるような大きなストレスが生じる。そこに人間関係や生活スタイルの変化が加わることにより、リスクはさらに大きくなる。

 職場から早めに帰る先は宿舎で有り自宅では無い。くつろぐスペースも、外に出て時間を潰す場所も、娯楽施設も無い。宿舎でテレビを観るか暇を持てあますかもしれない。そのような生活に慣れていない、仕事中心の人にとってはその時間は苦痛以外の何物でも無い。『自分は何をしに来たのか。』『こんなことをするために来たのでは無い。』『もっと被災地のために働かなくては』と自分を責める方向へと思考が変わると、自殺のリスクは大きい。

 被災地とりわけ陸前高田市・大槌町・南三陸町に派遣されている方々のメンタルヘルスを考えるのであれば、勤務時間外の生活様式の変化に留意する必要がある。生活様式の変化は大きなストレスとなる。個人的に楽しむ時間が持てなければむしろ仕事をした方がいいくらいだ。時間外の生活様式を聴き取り、そこに大きなストレス要因が無いかをチェックする必要がある。

 志の高い、若い力がこれ以上失われることの無いように願うばかりである。

 

 (陸前高田市自殺予防対策連絡会アドバイザーとして)

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2012年

10月

09日

気仙沼ひまわり号時刻表(9月改訂)

気仙沼エースポートと気仙沼大島を結ぶ旅客船「ひまわり号」、前に紹介しましたが、時刻表が改訂されました。 新しい時刻表を紹介します。

 

 

気仙沼エースポート発

   900  1100  1200  1400  1600  

 1700  2000  2100  2200

 

気仙沼大島発

  830  1000  1130  1330  1500

  1630  1930  2030  2130

 

 

夜遅くまで運行して下さっています。本当にご苦労様です。これで、残業や学校の部活動、遠くへの旅行の帰りなども安心して行くことができます。わたしも気仙沼側のホテルに泊まって朝大島に渡ったことが何度かありました。これからは少し遅くなっても大島に渡れるので助かります。

 そして料金も追加無しで定期運行です。

 

 

  これ以外で、予約をしたい場合には、0226-28-3176へ。

 貸し切りの場合、料金は1,000円です。

 また、15人以上の団体は、定員の関係から予約できません。

 

 気仙沼大島にお出かけの際は、是非ご利用下さい。

 

 

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2012年

9月

30日

震災の遺物 葛藤 <気仙沼>

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2012年

7月

27日

陸前高田での活動をアップしました

今年の1月から、陸前高田に学生を引率して行くプログラムを7回行ってきました。その状況をまとめて大学の復興支援プロジェクトのホームページにアップしました。その中で、陸前高田の現状や、視察のポイント、近所の方に私たちの活動を紹介している「サポートハウスたより」などを掲載しています。

 また、学生と一緒に行っているプログラム内容と、参加した学生のレポートを沢山掲載しています。学生のレポートは、一人2枚と少し長いのですが、何を感じたのかを率直に書いています。興味のある方は読んで下さい。

 頁はここです。

http://www2.rikkyo.ac.jp/web/csc/content/rikuzentakata.html

 

陸前高田のプログラムは、「視察」と「交流」としています。瓦礫処理や何かをする「ボランティア」ではありません。

 陸前高田市内小友町(おとも)に家を借りることが出来たことと、わたしが長期的に滞在することができることから、単発的なボランティアを行うのではないプログラムを考え実施しています。

 「視察」では、津波被害の状況を出来るだけ感じることに重点を置いています。震災前の写真や動画を集め、同じ場所に立ち、元々の街を見ながら、震災後の現実を見るようにしています。特に、市民体育館や市役所、陸前高田高校、雇用促進住宅などでは長い時間を取っています。震災直後の津波が運んだ瓦礫がほぼそのままに残されています。弔意を持ちつつ、そこに佇みます。ここで何が起きたのかをそれぞれが考えながら、長い時間黙って立ち尽くしています。物音を立ててもいけないような、重い重い、空気を感じながら立ち続けています。 何が起きたのか、だけではなく、自分との関係を重い計り、自分の人生をも考える時間であると思います。1カ所で30分、40分と時間がかかります。しかし、陸前高田に来ることは何度もあることではないでしょうし、今の陸前高田は今しか見られません。3時間、4時間掛けて、街を歩きながら、空気を感じながら視察をしています。

 「交流」は、仮設住宅に住んでおられる方やサポートハウスの近所の方との交流です。仮設住宅の中を歩いていると、若い学生に声を掛けて下さる方がおられます。中には、お茶飲んでって、上がって一緒にお昼食べよう、と誘って下さり仮設住宅にあげて下さいます。そして、自然に「あの日はたまたま犬の散歩に行ってて助かったんだよ。」「病院の日で病院に行ってたんだ。友達はホテルでお茶のみしてて亡くなってしまった。」「息子が、こんなとこに居たら危ないって車で迎えて来てくれて助かった。近所の人はみんな市役所に避難して助からなかった。」などと、語って下さるのです。初めて会ったわたしたちに、こんなに自然に話して下さることに、驚きながら、実際に起きた悲劇について淡々と語るそのことばを聴きます。 また、近所の方々も家に寄って下さったり、バーベキューをして下さったり、畑で取れた野菜を持って来て下さったりという、田舎暮らしの交流をしています。都会育ちの学生たちには、人の距離がこんなにも近いことだけでも驚きのようですが、それを心地よく受け取っています。

 そんなレポートも読んでみて下さい。

 

 

 

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2012年

7月

22日

いじめへの対応、これが教育なのに

大津市での学校と教育委員会の混迷が毎日報道されている。教育委員会の会見での発言は、世論に押されて少しずつ事実を認めるようになっている。

 最初の会見からすると、全く矛盾する見解となっている。

 事実が明らかになるにつれ、教育委員会のあきれる実態も明らかになっている。二度もアンケートをしていたのに、そのアンケートすら無視していた。そこに多くの生徒が見たこと・聞いたことを書いていたのに、しかもかなり深刻ないじめの状況を書いていたのに、最初はアンケートの存在すら隠していた。

 これらの報道を見聞きして、2つのことを考えている。

 

1つは、これは教育そのものだということである。 

 学校と教育委員会は、責任追及を恐れ隠蔽に走っているのかも知れない。しかし、今子どもたちがこれを見ているということを強く意識して貰いたい。こうした現実に対して大人、それも教育という立場にある大人はどう対応するのかを子どもたちは見ているはずである。そしてそこから学んでいくはずである。

 現在子どもたちに伝えているメッセージは、「無かったことにする」「隠す」「言い訳する」「逃げる」である。とても「敢然と向き合う」というメッセージは感じられない。

 この現実に対して、学校と教育委員会がアンケートを基にさらに調査を進め、何が起きていたのかを明らかにしようとしていたら、あるいは授業の多くをこの問題を話合う時間に充てたり、人間のいのち、尊厳を考える時間にしていたら、子どもたちは多くのことを受け取っていたであろう。「大人はいじめに対しては厳しく対応するのだ」「いじめはしてはいけないのだ」「いじめは人の尊厳を傷つけるのだ」 そういうメッセージを伝える教育になったと思う。教育委員会でありながら、こうした教育を蔑ろにしているしていることこそ、大問題だと思うのである。

 

2つに、情報は隠せないということをいい加減に知るべきである。

 アラブの春が起きたのは、インターネットの力が大きい。今、世界で起きていることもインターネットを通じて知ることが出来る時代である。中国で新幹線を埋めて隠蔽しようとしても、世界中に知られてしまう時代なのである。子どもたちは、携帯やパソコンを通じて情報発信もするし、情報交換もする。教育委員会の大人たちには分からないだろうけれど、日常的なこともネットに溢れている。

 そんな時代に子どもに口止めするなど、幼稚で姑息な考え方が通じると思ったのであろうか。あまりに時代を知らなさすぎる。

 情報は公開していく時代である。アンケートしたのなら、その内容や結果を公表すればいい。それが自殺の原因かどうかを判断するのが学校の役割では無い。判断なく、事実をまず公表することである。議論を巻き起こせばいいのではないか。まず事実を包み隠さず公表し、多くの人に知ってもらうことから始めなければならない。

 

 陰湿ないじめもネットを利用して行われる。いじめにきちんと向き合い、「いじめは無くすのだ」という強い意志を示して欲しいものである。それが教育の本質だと思う。

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2012年

6月

30日

気仙沼大島へは「ひまわり号」を利用しましょう

気仙沼大島へは旅客船「ひまわり号」を利用しましょう!

 

 2011.3.11地震直後、「ひまわり号」船長は、津波から船を守ろうと沖出しをします。大津波を何度も乗り越え無事外洋に出て、また戻って来ました。 気仙沼の船はほとんど流されてしまい、物資を運ぶ船が無い中、気仙沼から見えるところにある気仙沼大島は孤立してしまいます。地盤沈下によってまともに船を付けられない、湾内には瓦礫もあり航行は危険など、様々な悪条件の中「ひまわり号」は航行しました。

 日中に地震と津波が起きたため、気仙沼に仕事に行っていた島の人たち、逆に島に働きに来ていた人は共に家に帰ることが出来なくなっていました。物資も来ないため旅館や民宿の食料などを分け合い、最後はプールの水を漉して飲んだといいます。

 物資を載せ、人を乗せ小さなひまわり号は、本土と島を結ぶ希望となりました。14人乗りの小さな船に救援物資を山ほど載せ、多いときは50人もの人を乗せて多くの人を助けました。しかも、被災者は無料で。

 気仙沼大島側の桟橋も地盤沈下のため船が付けられず、島の若手(後のおばか隊)が凍るような寒さの中腰まで海に入り物資を運んだとおばか隊隊長さんから聞きました。

 こうして多くの人の努力で命を繋いだのだそうです。

 

 そのひまわり号は、今でもフェリーが終わった後の夜や深夜運行もしています。仕事や部活や塾で遅くなる人のために運行しているのです。さらに、中学校の部活の試合などで帰りが遅くなる場合には、事前予約で運行してくれているのです。 

 でも控えめな船長さんは、乗り場に時刻表も出していませんでした。これでは乗客は増えないと思い、船長さんから時刻表を貰いました。

 島の人のために、小さな船で頑張るひまわり号、応援したくなりました。船長さんはとてもいい人です。2012年7月に子ども向けの本となって出版されるそうです。

 

 旅客船 ひまわり号 時刻表 

 

   2012年9月改訂されました)

       新しいブログをご覧下さい。

 

 ※ひまわり号乗り場は、

   エースポートでは気仙沼女子校の真下あたり

   大島では、フェリー乗り場から砂利道で奥の方です。

 

 ※15人以上の団体は乗船出来ません。

 

 

 

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