大槌町への派遣職員自殺報道を聴いて

 岩手県大槌町に応援派遣されていた自治体職員が自殺したことが報道されている。また報道によると町長は記者会見で「3ヶ月の平均残業時間は70時間であり、他の職員に比べ多いとはいえない。一人に仕事が集中していたとはいえない。」と説明をしたとのことである。また、陸前高田市に派遣されていた方の自殺に続き2例目であるとも報道されている。

 

 わたしは、被災地のメンタルヘスルに多少関わる者として、「残業時間は短かった」と説明があったことに違和感を覚える。確かに労働安全衛生法等において、長時間労働あるいは深夜労働がメンタルヘスルに影響を与える大きな要因として指摘されている。しかし被災地においては、こうした一般的な指標ではなく被災地という特徴を踏まえたメンタルヘルス対策が考慮されなければならない。被災地の中でも特に、陸前高田市、大槌町、南三陸町はその特殊性を考慮した職場メンタルヘルスが必要であると考えている。

 被災地3市町の特殊性を考慮するとは次のような環境要因を考慮するということである。

 上記3市町は、平野部にあった市役所・町役場などを含む街全体が津波により消失してしまった。つまり、生活の場で有り、労働の場であり、憩いの場であり、日常生活の場であった市街地が無いのである。そして2年経過しようとする現在、そこにどのような街があったのか想像もできないほど、原野に戻った見渡す限り平な土地があるだけである。

 ここでの生活では、仕事が終わった後飲みに行く店も、時間を潰す喫茶店も映画館も、買わなくてもみて歩けるショッピングセンターも商店街も、レンタルビデオ店も、散歩する街並みも、あらゆるものが無い。元々無いだけでなく、有ったもの全てが失われてしまった。隣の市に行かなければこうした日常生活すら無いというのが現状である。

 

<<派遣職員に想定されるストレス>>

被災地のために、被災地自治体のためにと、志の高い方々が志願して派遣されてくる場合が多いと聞く。そのような方々が、どのような仕事と生活になるかを考慮しなければならない。そのような方は、元々仕事熱心な方々であったことが容易に想像できる。また被災地のためならどんな残業も厭わない気持ちも持っているかもしれない。

 しかし、被災地自治体職員は疲弊している。役所が被害を受けた自治体は、職場仲間の多くを失い、建物も行政資料も全てが無い大混乱の中で業務を続けて来た。その疲労度は想像を超えている。そこに、元気一杯で意識の高い人が仕事をしようと来られる。両者のギャップは大きい。サッカーで言うなら、延長戦に交代で入った元気な選手と既に90分走り回って疲れ切っている選手のようである。一緒に同じように働くのは難しい。派遣された職員には物足りないかもしれないが、地元のペースで伴走的な支援を心がけていただきたい。

 しかし一方、派遣されてきた職員のストレスという点から考えてみる。

仕事をすることで被災地の復興を助けようと相当な覚悟で見知らぬ土地に来ているはずである。残業が制限され、ゆったりとしたペースの中での仕事が要求される。仕事をせず帰らなければならない。その意識・意気込みと現実には大きなギャップが生まれ、退職者や配置転換の際にみられるような大きなストレスが生じる。そこに人間関係や生活スタイルの変化が加わることにより、リスクはさらに大きくなる。

 職場から早めに帰る先は宿舎で有り自宅では無い。くつろぐスペースも、外に出て時間を潰す場所も、娯楽施設も無い。宿舎でテレビを観るか暇を持てあますかもしれない。そのような生活に慣れていない、仕事中心の人にとってはその時間は苦痛以外の何物でも無い。『自分は何をしに来たのか。』『こんなことをするために来たのでは無い。』『もっと被災地のために働かなくては』と自分を責める方向へと思考が変わると、自殺のリスクは大きい。

 被災地とりわけ陸前高田市・大槌町・南三陸町に派遣されている方々のメンタルヘルスを考えるのであれば、勤務時間外の生活様式の変化に留意する必要がある。生活様式の変化は大きなストレスとなる。個人的に楽しむ時間が持てなければむしろ仕事をした方がいいくらいだ。時間外の生活様式を聴き取り、そこに大きなストレス要因が無いかをチェックする必要がある。

 志の高い、若い力がこれ以上失われることの無いように願うばかりである。

 

 (陸前高田市自殺予防対策連絡会アドバイザーとして)

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コメント: 3
  • #1

    匿名で (土曜日, 28 9月 2013 00:10)

    自分の被災地への想いが、空回りする辛さ。現地派遣の経験者として、これほどつらいものはありません。自らの力のなさ、そして、個人としての組織の前での小ささを経験してきました。
    言い方は悪いのですが、自らの想いは捨てて、「出稼ぎ気分」として仕事をしていかないとやってられないこともあります。
    また、仕事の進め方についても、地域の特質があり、なかなか進められないということもあります。すべての組織が復興のために何とかしようと思っているわけではありません。

    人間の心理的特性かもしれませんが、3ヶ月毎に私はその波が訪れ、仕事の進められない辛さに涙がとまらない日が続いたことを思い出します。

    松山さまのHPを見て、当時のことを思い起こしてしまいました。現地に思いを馳せて赴いた方々の無事なご帰還を願ってやみません。派遣期間の短縮もできるはずです。生きて帰ってきてください。

  • #2

    松山 (土曜日, 28 9月 2013 15:58)

     これを書いてから8ヶ月が経過しました。その間、陸前高田市役所で、少しですが職員の方をサポートすることを毎月続けています。派遣で来られている方々への、赴任時のオリエンテーションや配付資料なども改善されて来ました。「千里の道も一歩から」やらなければならないことは膨大ですし、一人一人の力はとても小さいと思うのですが、でも出来ることからやらないと前には進まないと思います。これからも小さくても長く続けたいと考えて居ます。
     陸前高田は、ダンプの交通量がかなり増え、山を削り土地を作る事業がようやく目に見えて進み始めました。最初に山を見あげたときには「こんな大きな山を・・」と思われた工事関係者も多いでしょう。しかし、随分と進んで来ました。陸前高田市役所前はもう山があったことが分からないくらいです。

  • #3

    Teofila Henegar (土曜日, 04 2月 2017 01:04)


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