震災の遺物 葛藤 <気仙沼>

宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区にある、津波で打ち上げられた船です。

第18共徳丸(330トン)、全長60mです。打ち上げられたと言っても、この船の向こう側800mが港です。定期検査のためドッグに入っていたため、津波で流されてきました。この鹿折地区は、気仙沼湾の一番奥で、水産加工工場や民家が多数ありました。港の重油タンクが流され、それに火がついたため火の海が行ったり来たりを繰り返し、一帯は津波だけでなく火事によっても大きな被害を出しました。

 その中、鹿折唐桑駅前道路を塞ぐ形でこの船が止まりました。ここに流れてきたということは、その間にあった建物や民家を潰して来たということです。この地区の人たちは、この船を家が壊しながら流れていく様子を高台から見ていたということです。

 

 気仙沼市は「保存して一帯を公園化し、津波被害を後世に伝えていく。」としてこの船をいち早く管理下におきました。市の狙いのとおり、ここは観光地化してきており、観光バスも多くやってきます。陸前高田に向かう途中であることからも、多くの人がここで車を停めてこの船を見上げています。外の人間は「残して欲しい」という希望が多くなっています。確かに実物を見ると津波の力の巨大さを実感できます。 

 

 しかし、住民の7割は「解体して欲しい」と希望しています。「この船を見ると辛い。」ということです。船の下には今も車が潰れたままであります。費用を税金から拠出するにはさらに強い反対があります。「隣の陸前高田市の「奇跡の一本松」のように保存会が出来て資金を集めるならまだしも、自分たちの税金でこれを残し、管理し続けるのか。」という反対意見が語られています。

船だけが注目されてしまいがちですが、この地区は未だ家の土台が残っています。家や工場の土台が延々と続いています。焼けた跡の残る鉄骨や建物は解体されましたが、土台は未だ残っています。電柱が一部しか建っていないことから、この土地の利用方法は決まっていないのでしょう。道路だけが1m近く土盛りしてかさ上げし普通に通れるようになりましたが、この地域としては復興は何も始まっていません。船への観光客目当てでしょうか?すぐ前にコンビニが開店しました。それ以外は、そこに生活があったことを示す家の土台と、伸び放題に伸びている草のみです。

 復興とは何か?地場産業が大打撃を受けた地域の大きな葛藤だと思います。

 葛藤のまま1年半という月日が流れてしまいました。

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コメント: 1
  • #1

    有希 (月曜日, 21 10月 2013 20:14)

    この震災遺物を残して欲しいです。